親鸞聖人のみ教え

親鸞聖人のみ教え

【他力本願】

親鸞聖人は『教行信証』に「他力というは如来の本願力なり」と記されておられます。
「他力本願」とは、世間一般にいう、他の人の力・他人まかせ・誰かの力に頼る等と、思っておられる方が多いと思います。
しかし本来の意味は、阿弥陀様のお力、慈悲のはたらきをいいます。
阿弥陀様が、“かならず救うわれに任せよ”と、いつでも、どこにいても、生きとし生けるものすべての人を救わずにはおれないという強い願いのはたらきをいいます。
私たちは、念仏も申しつつ如来のお慈悲に包まれて、人生を力強く、浄土への道を日々歩ませて頂くのであります。

【悪人正機】

歎異抄 第三章に記されている
(原文)「善人なほもつて往生をとぐ いはんや 悪人をや ・・・・」
(現代語訳)「善人でさえ 浄土に往生することができるのです。ましてや悪人はいうまでもありません」
では、ここでいう「善人」「悪人」について考えてみます。
善人とは、善い行いをし、自ら修行をして、自らの力でお浄土へ往生をしようとする者をいい、阿弥陀様のご本願に気づかず頼ろうとしない人をいいます。
悪人とは、一般的な善悪の立場、現代の法律を破った人、道徳的・論理的な悪人でもありません。日々、自己中心的な考えに捉われ、あらゆる煩悩を拭い取る事が出来ず、悩み苦しむ凡夫(私たち)をいいます。
悪人正機とは、善人悪人、老若男女問わず、煩悩のために悩み苦しむ私たちを見捨てることのなく、そのまま救い取って下さる阿弥陀様の智慧と慈悲を示した言葉でありあります。

【往生】

「往生」とは、本来、阿弥陀如来の浄土に往き生まれることです。日常的に使われるような、途中で行きづまったまま身動きが取れなくなることではありません。
阿弥陀如来の本願には、「あらゆる人々に南無阿弥陀仏を信じさせ、称えさせて、浄土に往生せしめよう」と誓われています。
浄土真宗の往生は、この阿弥陀如来の本願のはたらきによる往生です。 親鸞聖人は、如来のはたらきにより信心を得て念仏する人は今この人生において、「必ず仏に成るべき身」(現生正定聚 げんしょうしょうじょうじゅ)となり、命終わった時には浄土に生まれて必ずさとりに至る(往生即成仏 おうじょうそくじょうぶつ)と示されています。
私たちにとって大事なことは、この人生において如来のはたらきをうけいれること、つまり、信心を得て念仏する身にならせていただくことです。それはそのまま往生する身とならせていただくことなのです。阿弥陀如来の本願に気づいた人は、それぞれの人生を大切に歩むことができます。